科学本の言葉–5–(リチャード・ファインマンの言葉)
「私はひとりで浜辺に立ち、考えはじめる。打ち寄せる波がある。大量の分子が、それぞれ勝手にふるまい、たがいに遠く離れていながら、一緒に白い波をつくっている。それを見る眼があらわれるはるか前から、来る年も来る年も、いまと変わらず雷鳴のようにとどろきながら岸辺に打ち寄せていた。それを楽しむ生命がまったく存在しない死の惑星で、だれのために、何のために。けっして休まず、エネルギーによってねじまげられ、太陽によってひどく目減りさせられながら、空間に流れ込み、その力が海に轟音をたてさせる。深い海のなかでは、あらゆる分子がたがいのパターンを反復し、やがて新しく複雑なものが形成される。それらは、みずからと似たものをつくり、新しいダンスがはじまる。大きさと複雑さを増しながら、生きているものが、原子のかたまりが、DNAが、タンパク質が、さらに複雑なパターンを踊る。そのゆりかごから出て乾いた陸にあがり、いまここに立っている意識をもった原子、好奇心をもった物質は、あれこれと思いをめぐらすことの不思議さを思いながら海に向かって立つこの私は、原子の宇宙、宇宙のなかの原子なのだ。」――リチャード・ファインマン
上記の言葉が記されているのは、『脳のなかの幽霊、ふたたび』。著者V・S・ラマチャンドランのリース講演(一般の人にもよくわかる講演)が本書の元になっている。幻肢、カプグラ症候群、共感覚などが起こる神経基盤を解説するほか、芸術を神経学の観点から推察するユニークな試みがある。最終章では、自己とクオリアという哲学的な問題も考察する。
最終章(第5章 神経科学――新たな哲学)では、まず精神疾患の話から始めて、意識の話へと展開していく。ラマチャンドランは、意識をどう捉えているのか。問題は二つあるという。「主観的体験、すなわちクオリアという問題」と「自己という問題」だ。それぞれについて論じている。「クオリアと自己は同じ硬貨の両面だ」というのがラマチャンドランの見解。
このような話題をとりあげた最終章のラストが、上記のリチャード・ファインマンの言葉だ。「意識をもった原子、好奇心をもった物質」。詩的に綴られたファインマンの言葉は、最終章のテーマにぴたりと合っている。このファインマンの言葉に心惹かれる方は、ラマチャンドランの最終章における語りを、興味深く読み進めることができるのではないだろうか。
もちろん最終章だけでなく、『脳のなかの幽霊、ふたたび』すべての章が、脳の不思議を浮き彫りにする興味深い内容だ。この本は、ラマチャンドランの著書にしては薄い(新書レベル)ので、分厚い本が苦手な方にもおすすめできる。
読み応えのあるボリュームのある本が好きな方には、ラマチャンドランの著書『脳のなかの幽霊』、『脳のなかの天使』をおすすめしたい。この二冊を読んだ後に、(内容的に考えれば)『脳のなかの幽霊、ふたたび』を読む必要はないと思う。
『脳のなかの幽霊、ふたたび』は、ダイジェスト版という位置づけで考えるとよいのではないだろうか。読書に多くの時間を割くことができない方に、最適の本だ。
- 著 者:
- V.S.ラマチャンドラン
- 出版社:
- 角川書店