知覚の不可思議さを際立たせる「共感覚」
知覚の不可思議さを際立たせる「共感覚」
世界中の多様な生物は、同じ環境に住んでいても、それぞれ異なる独自の世界観をもっているという。わかりやすい事例の一つが、人と犬の世界観の違いだ。人と犬がともに散歩しているとき、鋭い嗅覚をもつ犬の世界は匂いに満ち溢れている。だが、同じ場所を歩いているにもかかわらず、人には犬が感じとっている匂いの世界はわからない。人と犬とでは生物的なしくみが異なるから、その環境において知覚するものも異なる。同じ物理的環境にありながら、人と犬は異なる世界を感じとっている。
生物的なしくみが異なれば、享受している世界は異なる。このことは、人と犬ほどの違いはないが、人と人にも当てはまるようだ。人によって脳の機能には微妙な違いがある。その違いによって、ときに享受するものは大きく変わってしまうらしい。
たとえば、多くの人にとって、音楽は「聴く」ものであり、「見る」ものではない。それは当然のこと、と多くの人が思うにちがいない。ところが、音楽を聴くと、その音を聴くだけでなく、動きと色をもった形を「見る」人がいるという。これは、「色聴」と呼ばれる共感覚だ。それは、あえて喩えるなら花火のようなものらしい。音楽を聴いているあいだ、色のついた形が現れて少しのあいだ動きまわり、やがて消えていく、ということが繰り広げられるそうだ。これは想像ではなく、自動的、不随意的に生じるようだ。
上記の他にも、色のついていない文字や数字に色を感じる、言葉に味を感じる、身体のまわりに曜日が並んでいるのを見る、など、多種多様な共感覚があるという。
「共感覚は異なる知覚の融合である」(『意識は傍観者である』)
「共感覚の大半の定義では、通常の感覚に加えて別の感覚が存在するという点が強調されている」(『カエルの声はなぜ青いのか?』)
共感覚は多種多様なため、定義は難しいようだ。包括的に定義するとすれば、つぎのようなものになるという。
「共感覚とは、引き金となる刺激によって、引き金とは異なる物理的属性ないしは概念的属性の知覚が、自動的、不随意的に、感情をのせて、意識にのぼるかたちで誘発される、遺伝的要素をもつ状態である」(『脳のなかの万華鏡』)
ごく標準的な知覚をもつものにとって、共感覚は信じがたい現象だ。しかし、脳画像や巧妙な実験によって、実在する知覚現象だと考えられているようだ。たとえば脳画像によって、つぎのようなことが明らかにされている。
現代の神経科学によると、さまざまな情報は、さまざまな脳領域で処理されているという。脳画像は、脳の中で活性化している領域を明らかにする。さて、「V4」と呼ばれる領域がある。これは、「色覚」に特化した領域だという。「通常は、V4が活性化されるのは、外界にある実際の色を見たときだけである」(『脳のなかの万華鏡』)。したがって、色のついていない数字を見たとき、通常「V4」は活性化しない。ところが、色のついていない数字に色を感じる共感覚者(書記素―色の共感覚者)では、「V4」が活性化したという。
「この実験には四年を要したが、書記素―色の共感覚者では、色のついていない数字を呈示した場合にも色覚領域のV4が光る(活性化される)という事実を示すことができた」(『脳のなかの天使』)
では、共感覚の生じる原因はどのように考えられているのだろうか。
共感覚は、脳領域どうしの「クロストーク(混信)」によるものと考えられているようだ。おもしろいのは、共感覚者でない人々すなわち大多数の人々の脳にも、「クロストーク」はあるという見解だ。共感覚者とそうでない人の脳の違いは、「クロストークがあるかどうかではなく、どのくらいあるかという程度の違い」(『脳のなかの万華鏡』)だという。つまり、共感覚者の脳では、クロストークが「多い」というのだ。
科学者たちは、共感覚を研究している。その研究の目指すところを、『脳のなかの天使』の著者ラマチャンドランは、つぎのように語っている。
「風変わりなこの現象が、正常な感覚のプロセスをあきらかにするだけでなく、人間の心のもっとも興味深い側面――抽象的思考やメタファーなど――に取り組むための曲がりくねった道に私たちをいざなうものでもあるということがわかってきたのである。それによって、創造性や想像力といった重要な側面の根底にあるかもしれない、人間の脳構造の属性や遺伝的性質が浮き彫りにされる可能性もある」
たしかに共感覚は不可思議な現象だ。だが、共感覚者の知覚だけが不可思議なのではない。誰もが毎日当たり前に行っている、外部世界を知覚することそのものが不可思議なのだ。生物的なしくみが異なれば、享受している世界は異なる。その不可思議さを際立たせているのが共感覚だと捉えたとき、この読書テーマは、誰にとってもおもしろいものになるのではないだろうか。
共感覚の本では、共感覚の観点から創造性やメタファーなどを論じているので、このような話題に興味のある方はとくに楽しめるはず。
下記に、この記事の参考文献をまとめた。ここで取り上げたのは、共感覚者自身の書いた読み物ではなく、神経科学の観点から共感覚を論じている一般向けの科学本。そして著者はみな、共感覚研究の第一人者と呼ばれる科学者たちだ。
神経科学の観点から共感覚を知る書籍
『脳のなかの万華鏡』
私たち一般が共感覚について〝網羅的に〟知りたいと思ったら、〝本書一冊読むだけで十分〟と言えるような充実した内容。なので、ボリュームはある(本文の最後が324ページ)。共感覚にかなりの興味があるなら、この本をおすすめ。
- 著 者:
- リチャード・E・サイトウィック/デイヴィッド・M・イーグルマン
- 出版社:
- 河出書房新社
『カエルの声はなぜ青いのか?』
適度な分量(本文の最後が238ページ)なので、まず、この本を読んでみるのもよいかもしれない。共感覚への興味だけでなく、感覚そのものに対する興味を広げてくれる本。本書の特筆すべき点は、空間や進化的な観点から共感覚を考察しているところだと思う。
- 著 者:
- ジェイミー・ウォード
- 出版社:
- 青土社
『脳のなかの天使』
共感覚については、第3章「うるさい色とホットな娘――共感覚」で論じている。この章は60ページ程度なので、この第3章を〝入門書〟と捉えるのもよいかもしれない。(本書は約400ページ)。内容については書評ページを。(でも、この本は2018年6月時点で入手困難になっているので、文庫化されたら読むのもありかも)
- 著 者:
- V.S.ラマチャンドラン
- 出版社:
- 角川書店
『脳のなかの幽霊、ふたたび』
『脳のなかの天使』が文庫化されるまでは、『脳のなかの幽霊、ふたたび』の第4章「紫色の数字、鋭いチーズ」を読むのもよいかもしれない。この章は、『脳のなかの天使』第3章よりも分量が少ないので、〝超〟入門書といったところだろうか。文庫化されているので手に取りやすいし、ラマチャンドランの本はおもしろいので、おすすめ。
- 著 者:
- V.S.ラマチャンドラン
- 出版社:
- 角川書店
『意識は傍観者である』
共感覚をテーマにした本ではないが、知覚の不可思議さを知ることができる。共感覚というテーマで読書する前に、まず、この本を読んでみるのもおもしろいと思う。一読をおすすめしたい良書。メインテーマは書名のとおり、内容については書評ページを。文庫版の書名は『あなたの知らない脳』
- 著 者:
- デイヴィッド・イーグルマン
- 出版社:
- 早川書房