意識の川をゆくーー脳神経科医が探る「心」の起源
書籍情報
- 著 者:
- オリヴァー・サックス
- 訳 者:
- 大田直子
- 出版社:
- 早川書房
- 出版年:
- 2018年8月
知覚、記憶、意識といった、さまざまな角度から人間の本質を探究する
著者オリヴァー・サックスは亡くなる2週間前にケイト・エドガーら3人に本書の「内容のあらましを説明し、刊行の手配を託した」。「本人の手がける最後の書」である。
これまで脳神経科医サックスは、神経学的な症例を人間味あふれる「患者の物語」として描いてきたが、本書では、そのようなスタイルとは異なり、知覚、記憶、意識といったさまざまな角度から人間の本質を探究している。
10篇のエッセイ(10章ともいえる)で構成されているが、そのうちの9篇を簡潔に紹介
「ダーウィンと花の意味」では、チャールズ・ダーウィンの植物の研究を軸にして進化について論じている。
「スピード」では、時間の知覚をテーマとし、命の危険にさらされたときの時間知覚や、訓練されたスポーツ選手のスピード知覚、さまざまな神経学的な症例、ウィリアム・ジェイムズの見解などを織り込んで論を進めていく。
「知覚力ーー植物とミミズの精神生活」では、原始神経系の研究にまつわる多彩な知見を見ていき、精神や意識の起源を探る。
「別の道ーー神経学者フロイト」では、ジークムント・フロイトが神経学者であり解剖学者だった時代を辿りながら、神経系と精神や記憶について論じている。
「記憶は誤りやすい」では、具体的な事例を積み重ねて、記憶の本質に迫っていく。
「聞きまちがい」では、著者自身の聞きまちがいの例を取り上げ、「知覚ーーとくに発話の知覚ーーの意外な特質」に迫ろうとしている。
「創造的自己」では、創造性のひらめきをテーマとし、模倣と創造性について考察している。例えばつぎのような記述がある。「創造性には、長年にわたる意識的な準備と訓練だけでなく、無意識の準備も必要である。」
「なんとなく不調な感じ」では、片頭痛の例や自身の体験を交えて、自律神経系と「自分がどういう状態か」の感覚との関係について論じている。
「意識の川」では、ウィリアム・ジェイムズやアンリ・ベルクソン、ジェラルド・M・エーデルマンの見解、神経障害や錯視の例、フランシス・クリックやクリストフ・コッホの研究などを交えながら、意識を考察していく。
科学の歴史に思いを巡らせる
本書の最後のエッセイ「暗点ーー科学における忘却と無視」では、科学の歴史において時期尚早のために理解されず無視されてしまった発見や考えについて論じ、その例から教訓を引き出すことを試みている。
感想・ひとこと
「時間の知覚」をテーマとした「スピード」というエッセイにとくに興味を引かれた。若い頃に比べて1年過ぎるのが速く感じられる、退屈な授業の時間は長く感じられる、という話はよく聞く。物理的な時間は変わらないが、状況によって時間に対する人の感覚は異なっている。この不思議に関するさまざまな見解を見聞きしたことはあるが、このエッセイの論考は、今までの中で、私にとってはもっともわかりやすく、腑に落ちるものだった。それは卓越した構成力・表現力で、豊富な知見と具体例を交えて論じられているからだろう。
全体を通して読む価値のある本だと思っているが、「時間の知覚」に関するエッセイ(「スピード」)だけでも私にとっては読む価値のある本だった。
なお、オリヴァー・サックスの本は大部のものが多いが、本書は本文のみで約220ページなので、読むのにさほど時間はかからないと思う。