本能はどこまで本能かーーヒトと動物の行動の起源
書籍情報
- 著 者:
- マーク・S・ブランバーグ
- 訳 者:
- 塩原通緒
- 出版社:
- 早川書房
- 出版年:
- 2006年11月
後成説の見地から、生得論者を批判し、人間を含む動物の行動と行動発達を考える
私たちが「本能」と呼びたくなるような、人間を含む動物たちが見せる驚くべき行動は、生得的なものか、それとも経験によるものか。そもそもこうした区別はできるものなのか。
たとえば、「サケは上流にのぼって産卵する」「生まれたばかりのネズミは匂いを追って母親の乳房にたどりつき、乳を吸いはじめる」「コウウチョウは別の種の鳥の巣で卵から孵り、生えかけの羽で他の卵を巣から投げ落とす」「子供は最初におぼえた言葉を口に出す」
こうした行動は、遺伝子で決定されているものだろうか、それとも環境によるものだろうか。そもそも「遺伝」「環境」という区別はできるものだろうか。科学者たちのあいだには、こうした見解をめぐる論争があるようだ。
著者は、発達心理学者の会合で「生得論者と反生得論者の論争を目の当たりにした」という。発達心理学者とは「人間の幼児における感覚、知覚、運動、認識の発達を研究する心理学者のことを指す」そうだ。
生得論者とは「私たち人間が生まれながらに中核的な能力と知識をもっていて、私たちが生涯で学習できることの大半はそれを基盤にしている、と熱烈に信じる人びとのこと」だという。
著者は、この生得論者を激しく批判する。この批判にあたり著者が支持する考え方は「後成説」という概念だ。
後成説とは「構造的特徴、生理的特徴、および行動的特徴が、遺伝子と遺伝子の置かれている環境との切り離しがたい持続的な相互関係から発達を通じて生じるという考え方」で、「後成説を受け入れるには、生まれも育ちも重要だという認識が必要なだけでなく、二分論自体が無意味」と認識する必要があるという。「後成説の核心にある考えは、あらゆる経験――最初の胚細胞の化学的環境から、生物が発育して生きていく社会環境まで――が、受精卵から出発して完成した生命体へといたる道のりに欠かせないというものだ」そうだ。
本書は、さまざまな動物行動を紹介して、生得論の見方を激しく批判し、後成説の見方を説く。
ひとこと
生得論者批判のトーンは、かなり激しい。著者の抑えがたい怒りすら感じられる。本書でとくに批判されているスティーヴン・ピンカーの『言語を生みだす本能』『人間の本性を考える』とあわせて読むとよさそうだ。