ポストコロナの生命哲学
書籍情報
- 著 者:
- 福岡伸一/伊藤亜紗/藤原辰史
- 出版社:
- 集英社
- 出版年:
- 2021年9月
福岡伸一、伊藤亜紗、藤原辰史が、「ピュシス」と「ロゴス」をキーワードに、「ポストコロナの人間のあり方」について語り合う
NHK BS1スペシャル「コロナ新時代への提言2 福岡伸一×伊藤亜紗×藤原辰史」をもとに、大幅な加筆修正を行い、構成したもの。第一部は三者それぞれの論考、第二部は鼎談、という形式になっている。
コロナとの共存のためには「長い射程を持った生命に対する見方」すなわち「生命哲学というようなもの」が必要との考えのもと、ピュシスとロゴスをキーワードに、「ポストコロナの人間のあり方」について語り合う。
生物学者の福岡伸一は、「新しい生命哲学」とは何かを一言で、「自然(ピュシス)の歌を聴け」と表現している。
第一部の三者それぞれの論考について
福岡伸一(生物学者)は、宮沢賢治の『春と修羅』から説き起こして自身の生命論「動的平衡」について述べ、「ウイルスは本来、私たちの生命の一部であり、生命体の家出人のようなもの」といった話を展開し、「ロゴスとピュシスの狭間にある人間のあり方」について論じている。
伊藤亜紗(美学者)は、人の感性あるいは身体感覚といった「曰く言い難い感覚」について「あえて言葉を使いながら深めていく、それが美学」という説明から始める。そして、「さわる」と「ふれる」の違いなどについて述べながら、身体の多様性といった視点から論考し、「耳を澄ます」ことの大切さを語る。
藤原辰史(歴史学者)は、農業の現代史を専門とし、「食」の観点から論を進める。過去のパンデミック、為政者の言葉、ナチスのスローガンなどについて述べていき、「社会のひずみ」を論じる。そのひずみを一言で言えば、ヨハン・ガルトゥングが掲げた「構造的暴力」だという。
第二部の鼎談について
漫画版『風の谷のナウシカ』の話題から、消毒文化や共生について、三者それぞれの知見を交わす。そして、身体性や利他性といった観点からの考察がなされていく。
感想・ひとこと
この感想を書いている時点の新型コロナウイルス感染症の感染者状況は、第8波の減少傾向から再び増加傾向へと転じ、すでに第9波に入っているという専門家の意見も見られる。感染症法上の位置づけは、来月には5類に変更される。感染者の全数把握はやめるようなので、第9波が来た場合、正確な感染者数はわからなくなりそう。いよいよ日本もウィズコロナあるいはポストコロナ社会に向かって大きく舵を切った状況だ。
著者のひとり福岡伸一は本書の中で、「私たちは、自分の体がピュシスとして生きているということを、もう少し信頼したらいいのではないでしょうか」と述べている。
現在のようなウィズコロナ社会においては、自身の身体、自身の生命力を信じるしかないように思える。そう思いつつ、今のところ変わらない警戒心を持ち、マスク、こまめな手洗い、簡単な消毒といった習慣は続けている。
消毒については、「行き過ぎた消毒文化」への懸念が示され、「消毒文化あるいは潔癖主義は排除を求める心性と一体」という藤原辰史の指摘があり、そこからナチスの話題へと展開していく。消毒からの、話の広がりがすごい。
鼎談の軸になっているのは漫画版『風の谷のナウシカ』。同漫画を読んでいない私にもわかるように書かれている。「世界を清浄と汚濁に分けてしまっては何も見えないのではないかと…」といったセリフや、「庭」のシーンが紹介され、そこからノイズとの共生という方向に議論が進んでいく。伊藤亜紗は、「ナウシカは皆が敵だと思っている存在に対しても人格を与える、つまり尊重しているんですよね」と述べて、幻聴や幻覚を持ちながら生活している方たちの話を紹介する。
一つのテーマがさまざまな角度から語られ、話に広がりがみられるところが、異なる分野の専門家による鼎談の魅力だと思う。
ちなみに、本書の鼎談は会話としてテンポよく進むというより、著者らの意見がわりと長めに綴られている形式なので、会話を「聞く」ような読書ではなく、それぞれの考えを読んでいくような感じになっている。