世界は分けてもわからない
書籍情報
- 著 者:
- 福岡伸一
- 出版社:
- 講談社
- 出版年:
- 2009年7月
部分と全体、境界、地図、動的平衡、そしてインクラビリ。これらの言葉によって、独立したいくつかの話題がみごとに収斂され、一冊の書物として著者の主張を浮かびあがらせる
著者は、ミステリー仕立ての物語を二つ用意した。ひとつは、「世界で最も有名な」生化学研究室で起こった「スペクター事件」。もうひとつは、ヴィットーレ・カルパッチョの絵画にまつわる物語。まるで関係のない二つの物語を、著者はひとつの言葉で結びつけた。インクラビリ。治すすべのない病。
本書は、イタリア北東部の街パドヴァへ向かう著者の旅からはじまる。その目的は「国際トリプトファン研究会」に参加することだった。この研究会での発表を終えた著者は、ヴェネツィアへ向かう。「須賀敦子のヴェネツィア」
須賀敦子の『地図のない道』のなかに、「ザッテレの河岸で」という作品がある。須賀は、散策している折、「インクラビリと名づけられた水路があることに気づく」。「なおる見込みのない人たちの水路」。また、須賀はコッレール美術館に赴く。「有名なヴェネツィアの娼婦を描いた絵を見るため」に。ヴィットーレ・カルパッチョ作「コルティジャーネ」。コルティジャーネとは、通常、高級娼婦と訳される。
インクラビリ、「コルティジャーネ」、カルパッチョのもうひとつの作品「ラグーンのハンティング」(ゲティ美術館、アメリカ)、須賀敦子のこと、その頃「倦んでいた」著者の心境を織り交ぜて描き出した物語は、部分と全体、連続性といった本書のテーマを浮かび上がらせる。
そして、もうひとつの物語「スペクター事件」を、研究現場の風景や分子生物学の手法などを詳解しながら物語る。その舞台となった生化学研究室のボスであるエフレイム・ラッカーは、事件ののち、マーク・スペクターをこう形容した。「治すすべのない病」。インクラビリ。著者は、「ヴェネツィアの船着場の河岸の裏の小さな水路につけられた名前を思い出す」
ほかにも、視線にまつわる考察、「パワーズ・オブ・テン」、ランゲルハンス島、ソルビン酸、ES細胞とガン細胞、国境(あるいはそれに準じた場所)を撮影した渡辺剛の写真、「細胞のなかの墓場」、「空耳・空目」などの話題がある。それらの独立した話題が、部分と全体、境界、地図、動的平衡といった言葉によって、みごとに収斂され、一冊の書物として著者の主張を浮かびあがらせる。
「この世界のあらゆる要素は、互いに連関し、すべてが一対多の関係でつながりあっている。つまり世界に部分はない。部分と呼び、部分として切り出せるものもない。そこには輪郭線もボーダーも存在しない」。「世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからない」
それでも分子生物学者である著者は、「分けてもわからないと知りつつ、今日もなお私は世界を分けようとしている」と述べる。なぜか? こう続ける。「それは世界を認識することの契機がその往還にしかないからである」と。
ひとこと
このレビューでは物語のところを強調したが、この本では生物学の知見も得ることができる。