重力波は歌うーーアインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち
書籍情報
- 著 者:
- ジャンナ・レヴィン
- 訳 者:
- 田沢恭子/松井信彦
- 出版社:
- 早川書房
- 出版年:
- 2016年6月
- 著 者:
- ジャンナ・レヴィン
- 訳 者:
- 田沢恭子/松井信彦
- 出版社:
- 早川書房
- 出版年:
- 2017年9月
2016年2月、重力波の直接観測に初めて成功したというニュースが、世界を駆けめぐった。
「本書は、重力波――音による宇宙史の記録、宇宙を描くサイレント映画を飾るサウンドトラック――の研究をつづった年代記であるとともに、実験を目指した果敢で壮大な艱難辛苦の営みへの賛辞、愚者の野心に捧げる敬意の証でもある」(本書より)
「その音は一四億光年のかなたからこちらへやってきた。一四億光年のかなたからだ」(「エピローグ」より)
終わりのほうにある言葉から紹介したい。「エピローグ」にある最後の見出し「ブラックホールは重力波の歌をうたう」のなかの記述。
「数十億年前、二つの大きな恒星が互いのまわりを回りながら存在していた。……略……。やがて片方が死に、次いでもう片方が死んで、ブラックホールが二つできた。そして漆黒の中、おそらく一〇億年単位の時間、互いのまわりを回っているうち、最後の二〇〇ミリ秒で衝突・合体し、その二つに出せる最大の重力波を宇宙空間に放った」。「その音は一四億光年のかなたからこちらへやってきた。一四億光年のかなたからだ。……略……」
「二つのブラックホールの合体により生じる膨大なエネルギーは、純然たる重力現象という形で、時空の形状の波動として、すなわち重力波として発散される」(「1章」より)
上記の言葉は、「1章 ブラックホールの衝突」のなかのもの。つぎのように続く。
「宇宙飛行士が付近を遊泳していたとしても、目には何も見えない。しかし空間は鳴り響きながら宇宙飛行士の体を押し縮めたり引き伸ばしたりして変形させるだろう。十分そばにいれば、聴覚機構が反応して振動するかもしれない。その場合、重力波を聞くことができる。[「聞く」に傍点]。暗黒の虚空の中で、時空が鳴り響くのが聞こえるのだ(…略…)。重力波とは、物質媒体なしで伝わる音のようなものである。…略…」
「重力波は音波ではない。しかしエレキギターの弦で生じた波がふつうのアンプで音に変換できるのとよく似た仕組みで、重力波も純然たるアナログ技術で音に変換することができる」(「2章」より)
上記の言葉は、「2章 雑音のない音楽[ハイ・フィデリティ]」にある見出し「時空の「録音装置」をつくる」のなかのもの。
ここでは、検出装置について、つぎのように記している。
「ここでつくっているのは、望遠鏡ではなく「録音」装置である。科学機器であると同時にオーディオ機器と言ってもいいこの装置が使命を果たせば、宇宙の形状における極微の変化が記録できる。この検出器で感知できるほど時空を鳴り響かせられるのは、巨大質量をもつ天体のきわめて活発な運動以外にない。ブラックホールどうしが衝突すると、時空に波が放たれる。……略……。空間的な距離と時間的なテンポの収縮と膨張が、海の波と同じように宇宙全体に――時空の形状の変化として――広がっていく。重力波は音波ではない。しかしエレキギターの弦で生じた波がふつうのアンプで音に変換できるのとよく似た仕組みで、重力波も純然たるアナログ技術で音に変換することができる。完璧なたとえではないが、天体の巨大事象はギターの爪弾きにあたり、時空は弦、検出装置はギターのボディーのようなものだ。一次元の弦よりも少し高い次元でたとえるなら、巨大事象はドラムを叩くマレット、時空は三次元のドラムに張られた皮に相当する。この場合、検出装置はドラムの皮の形状変化を記録して、無音の楽譜を私たちに聞き取れる音として奏でる。制御室にいる科学者は、市販のスピーカーで増幅された検出器の音に耳を傾ける。……略……」
「この天空の音をとらえようという動きは、今から半世紀ほど前に始まった」(「1章」より)
「1章」のなかの「LIGO[ライゴ]」についての記述。
「この天空の音をとらえようという動きは、今から半世紀ほど前に始まった。レーザー干渉計型重力波観測所(LIGO[ライゴ])は、科学の基礎研究を支援することが使命の独立した連邦政府機関、国立科学財団(NSF)が資金提供するプロジェクトとして、これまでのところ最も高額なものとなっている。LIGOはワシントン州ハンフォードとルイジアナ州リヴィングストンの二カ所に同じ検出器を設けており、いずれも一辺が四キロメートルのL字形をしている。総費用は一〇億ドルを超え、数百人の科学者と技術者が参加する国際的な協力体制のもと、LIGOには関係者の全キャリアと数十年に及ぶ技術革新が注ぎ込まれている」
巨大プロジェクトは、どのように始まったのか
「LIGO」の立役者と言える三人の科学者、ライナー・ワイス、キップ・ソーン、ロン・ドレーヴァーのいくつものエピソードを綴っている。
ライナー・ワイス
著者ジャンナ・レヴィンは、午後六時、マサチューセッツ工科大学(MIT)の施設を訪れる。ライナー・ワイスに会うために。ワイスが手招きして著者を迎え入れる。
ワイスはこう語った。「私には幼いころから大きな夢がありました。音楽を雑音なしで楽しみたいと思っていたのです。子どものころはハイファイ革命の真っ最中でした。これでも一九四〇年代の後半にはまだ子どもだったのでね。音質のいい、高性能のオーディオ装置をいろいろとつくったものです。ニューヨークに渡ってきた移民は、たいていクラシック音楽に餓えていました。……略……」
ワイスを紹介しているところには、たとえば、「ナチスを逃れ、ベルリンからニューヨークへ」、「シェラック盤の背景雑音はどうしたら消せるのか」、「一般相対論を教えながら学ぶ」などの見出しがある。
一九六八年か六九年ごろ、ワイスは「綱渡りの状態で」相対論の講義をしていたそうだ。「その講義からLIGOが生まれたのです」とワイスは言う。
「私は思考実験の課題として、『では、物体間で光線を往復させて、重力波を測定するとしよう』というアイデアを提示しました。これは解くことのできる問題ですから。まず、物体が一つあるとします。物体をもう一つ持ってきて、それらを真空中で自由に浮かばせます。ここで二つの物体のあいだで光線を往復させれば、〝光が物体間を往復するのに要する時間に重力波はどう影響するのか〟という問いの答えが得られます。まるで俳句のような、きわめてすっきりした問題ですね。……略……」
著者ジャンナ・レヴィンは、ワイスの研究にまつわるエピソードを積み重ねていく。ワイスの言葉を織り込みながら。そして読者は、ワイスの研究の行き詰まりを知ることになる。その見出しは、「ドイツチームに水をあけられて」
著者はこう始める。「計画書を却下されたことに落胆させられてからおよそ一年後、マックス・プランク研究所のドイツ人物理学者から電話がかかってきた」
それは、ハインツ・ビリングスという人物で、「干渉計の進捗状況を知りたがって」いたという。「ビリングスがどうやって二〇号棟の小さな干渉計のことを聞きつけたのかわからなかった」ので、「この点を追及すると相手は、国立科学財団(NSF)に提出して却下されたワイスの計画書を読んだのだと認めた」
ワイスはこう語る。「当時、私たちは[干渉計を]機能させるところまではたどり着いていませんでした。それでも向こうは研究に乗り出しました。人を止めることはできません。無理なのです。実際、初期の開発はマックス・プランクのグループがほとんどやりました。あちらには資金がありましたから。……略……。向こうはすぐさま干渉計の研究を進めたというのに――一九七四年ごろだったかな――私は先へ進むことができませんでした」
著者ジャンナ・レヴィンは、つぎのように記した。
「……略……。ワイスの劣勢は著しく、挽回することもほぼ不可能だと彼は悟っていた。実物を、フルスケールの機械を、究極の録音装置を、音響工学を天文学に応用した究極の成果を、自分はつくれないのだ。俳句のごときシンプルなアイデアをひねり出したのは自分なのに、それがほかの者によって実体化されるのを眺めているしかない。……略……」
そんなとき、ワイスは、キップ・ソーンに出会ったという。
キップ・ソーン
「キップ・ソーンは押しも押されもせぬ天体物理学者であり、多大な影響力をもつ卓越した相対論研究者だ」。著者ジャンナ・レヴィンは、このようにソーンの紹介を始めた。そして、その風貌を描く。
それから、著者はこう記す。「一九七〇年代の終盤、カルテクですでに教授として業績を重ねていたソーンは、何か大きなことを手がけたいと思っていた。彼は理論家であり、豊かで細やかな知性の持ち主で、きわめて抽象的な概念にも幅広く対応できるが、カルテクで観測にかかわるような、何かリアルなことをやりたかった」と。(カルテクとは、カリフォルニア工科大学のこと)
ソーンの指導教官は、ジョン・アーチボルト・ホイーラーだ。(ホイーラーの話題も登場する)
「ホイーラーは、ブラックホールと量子力学の時代というこの華々しい舞台にキップ・ソーンを導き入れた。ソーンは相対論を教え込まれた物理学者の第一世代だ」
さて、「ワイスとソーンの邂逅」はつぎのようなものだったそうだ。
「一九七五年、ワイスとソーンはそれぞれNASAの委員会の会合に出席するためワシントンDCに赴いた」
ワイスはその日のことをこう説明したという。「……略……。それから、私たちは同じ時期にプリンストンにいたことがわかりました。私はキップがとても気に入りました。彼は愉快な男ですよ。見た目は変人でしたが。紛れもなく変人だったのです」。「そんなわけで、その日は一晩じゅう一緒に過ごしました。本当に一晩じゅうです。そのころ、キップは考え事で頭がいっぱいだったのですが。『カルテクは重力の実験として何をすべきか』って」
ソーンとワイスは、何度も朝まで語り明かしたそうだ。「何度もです。最初は七〇年代で、それから八〇年代、九〇年代になっても続いてね」とソーン。
著者は、ふたたび、ワイスの言葉を紹介する。「私たちは、重力にかかわるありとあらゆる領域を記した大きな地図を紙に描きました。期待できるのはどの領域か。その期待とはどんなものか。どんなことをすべきか。私から売り込んだわけではありませんが、キップのほうから関心を寄せてくれました。カルテクでやるべきことは干渉計による重力波検出だと彼は判断しました。それが最も有望だと思われたのです。そこでじっくり議論しました。キップは『しかし自分だけでは無理だ。誰に来てもらおうか』という問題について考えていました」
ロン・ドレーヴァー
「一九七八年にソーンがカルテクからのオファーをもってアプローチしてきたころには、ドレーヴァーは野心と厳しい予算に等しく動かされながら、スコットランドですでに独自の干渉計を設計していた。……略……」
ロン・ドレーヴァーを紹介しているところには、たとえば、「倹約を旨として」、「いつでも渦の中心にいる男」、「「スズメの涙」ほどの予算で干渉計をつくり上げる」などの見出しがある。
見出しの一つに、「周囲を振り回す「科学界のモーツァルト」」がある。著者ジャンナ・レヴィンは、つぎのように記す。
「私は、ロン・ドレーヴァーのスコットランド風の語り口は録音でしか聞いたことがない。全体に予想していたほど堅苦しくなく、ちょっと陽気な感じで、歴史を築いた人物にしては思いやりに満ちた言葉を発する。彼の気質で手ごわいところが感じられるとすれば、それは単純な言葉にさえ同意するのにかすかな抵抗を示す点だけだ。一九七九年にカルテクがドレーヴァーを採用したとき、彼は巧みなアイデアと際立った実験能力で知られていた。……略……」
著者は、ドレーヴァーの天才を、こう記している。
「ドレーヴァーは科学界のモーツァルト(ワイスによるたとえ)とでも称するべきオーラをまとっていった。驚異的な頭脳に子どものような心をもつ彼は、目の覚めるような楽曲を次々に生み出す天才を思わせた。彼の周囲にいれば誰もが、モーツァルトの天与の才能の陰に隠れて地道な技巧家だと不当に評価されたサリエリの役回りを演じるしかなかった。……略……」
欠点にも触れている。「ドレーヴァーは毎日、アイデアを洪水のごとくチームに浴びせていた、と誰もが異口同音に言う。アイデアはいくらでも出てきた。しかし決断が下されることはまれだった。翌日になると、……略……、困惑するチームにまた新たなアイデアの洪水を浴びせかけるのだった。……略……」
ドレーヴァーは、「グラスゴーとカルテクで交互に過ごす五年間の試行期間」の後に、「スコットランドのチームを捨てたことになるのだろうかと苦い思いを抱きながらも、カルテクでフルタイムのポストに就いた」。一九八三年のことだった。
「LIGOの誕生――奇妙な「トロイカ」の結成」(「7章」より)
「7章 トロイカ」には、たとえば、「救世主、アイザックソン」、「「ブルーブック」提出される」、「七〇〇〇万ドルのプロジェクト――MITとカルテクの合同成る」などの見出しがある。
リッチ・アイザックソンは、「国立科学財団(NSF)の重力物理学のプログラムディレクター」、「重力波のプロジェクトが行き詰まらずに済んだのはひとえに彼のおかげだと大勢が認める人物である」、と紹介されている。
この章では、アイザックソンとワイスの交流、ブルーブックのこと(「ワイスとMITのチームは、〝ブルーブック〟と呼ばれることになる文書のための検討作業に三年をかけた」)、そして、ドレーヴァーとワイスのあいだの「緊張」などを描きながら、「トロイカ」結成にまつわるエピソードを綴っている。
著者は、つぎのように記す。
「ワイスとドレーヴァーとソーンは、ブルーブック提出後の数ヶ月、苦労して開発計画を立て、合意した。続いて、NSF相手に見事なプレゼンを披露した。ソーンは天体物理学がいかに有望かをアピールした。ドレーヴァーは、美しい物語をつむぐ創造的な設計からもたらされる夢の数々を、耳に心地よいスコットランド訛りで語って相手を魅了した。そしてワイスが実用化を具体的に検討した結果を示してしっかり締めた。中核となる論点は伝わった。彼らはプロジェクトを進められることになった。天空の音を記録する装置をつくれることになったのだった」
「正式な協定はなされなかったが、ワイスによれば、「私たち三人――キップ、ロン、私――が一つのグループだという印象を植え付ける結果となりました。私たちは[最終的に]奇妙な組織、トロイカを結成したのです」」
LIGO統括責任者、ロフス・E・ヴォート
「11章 スカンクワークス」では、LIGO統括責任者、ロフス・E・ヴォートにまつわるエピソードを紹介している。ここには、たとえば、つぎのような見出しがある。「問題解決に秀で、問題を起こすことに長けた人物」、「ヴォートのLIGO計画書、国立科学財団を動かす」、「権威嫌いの「スカンクワークス方式」」など。
著者ジャンナ・レヴィンは、つぎのように記している。
「ヴォートは彼自身のもつ立派な特質すべてを統括責任者の職務に持ち込み、また短所もすべて持ち込んだ」
以下の記述は、ヴォートの功績について。
「……略……。ルイジアナ州選出のJ・ベネット・ジョンストン上院議員は宇宙論に強く関心を引かれたので、あとの約束をいくつかキャンセルして、州に干渉計を建設するという展望に向けて動きだした。これがのちのLIGOリヴィングストン観測所(LLO)だ。しまいにはヴォート教授とジョンストン上院議員が床の上であぐらをかいて、宇宙が始まったときの時空の図を描き、自分たちの受け取った〝宇宙〟という遺産が心地よい精妙さを帯びていくようすを追った。話がまとまり、用地が確保され、資金が計上された。政治絡みの厳しい闘いは二年間続いたが、議会がようやくLIGOの建設費用としてカルテクに対する二億ドルの配分を承認した」
ヴォートは、こう言ったそうだ。「あれは私の手柄です。私が資金を獲得したのです。あのときは大変でした。でもとにかく勝利を目指して……勝つことができました。勝つのは気持ちがいい」
「この件はLIGOの悪しき一幕です。…略…」(ワイスの言葉。「13章」より)
プロジェクトの中核から追放されたロン・ドレーヴァー。失脚するロフス・E・ヴォート。それが描かれる「13章」の章題は「藪の中」
ヴォートおよびドレーヴァーの「その後」については、「16章」で紹介している。
件名は「LIGOに関する秘密情報」(「エピローグ」より)
そのメールの内容は、たとえば、つぎのようなもの。「九月一四日、二台のLIGO干渉計が二つの三〇太陽質量前後のブラックホールによるインスパイラルおよび合体と矛盾しない信号を記録しました」(続いて、他の内容も紹介している)
重力波の直接観測に初めて成功したという公式発表の前に、その「極秘情報」を、著者は知らされていたのだ。
最後にもう一度、著者の言葉を
「本書は、重力波――音による宇宙史の記録、宇宙を描くサイレント映画を飾るサウンドトラック――の研究をつづった年代記であるとともに、実験を目指した果敢で壮大な艱難辛苦の営みへの賛辞、愚者の野心に捧げる敬意の証でもある」(本書より)
ひとこと
重力波の話題では必ず登場すると言える、重力波検出実験の「先駆者」ジョセフ・ウェーバーのエピソードも綴っている。「5章 ジョセフ・ウェーバー」「9章 ウェーバーとトリンブル」という二つの章がある。ジョージ・ガモフとのエピソード、ソーンとの会話、「ウェーバーとトリンブルのロマンス」、などなど、さまざまなエピソードが盛り込まれている。