生命と記憶のパラドクスーー福岡ハカセ、66の小さな発見
書籍情報
- 著 者:
- 福岡伸一
- 出版社:
- 文藝春秋
- 出版年:
- 2012年9月
- 著 者:
- 福岡伸一
- 出版社:
- 文藝春秋
- 出版年:
- 2015年3月
福岡伸一のエッセイ集。「福岡ハカセ」シリーズ。「まえがき〜あとがき」を通して描かれた〝物語〟は、記憶をテーマにした良質の短編小説のようだ
「週刊文春」(2010年3月11日号〜2011年9月8日号)の連載エッセイをまとめたもの。本書の一人称は「福岡ハカセ」。「福岡ハカセは〜だった。」というような書き方がなされている。私は、福岡伸一の文章を魅力的と感じている読者だが、この一人称には最後まで慣れず、違和感があった。(子供が読むならよいと思うが)。その点を除けば、福岡伸一らしい魅力的なエッセイがいくつもある。そして私にとって本書最大の魅力は、「まえがき」と「あとがき」を通して描かれた〝物語〟にある。この〝物語〟の一人称は「私」になっている。
「まえがき〜あとがき」を通して描かれた〝物語〟は、「記憶」をテーマにした良質の短編小説のようだ。ポスドク時代を過ごしたニューヨークのロックフェラー大学を再訪する福岡伸一の物語だ。『生物と無生物のあいだ』のエピローグが心に残った読者で、まだこの〝作品〟を読んでいない方には、ぜひ一読をおすすめしたい。
『生命と記憶のパラドクス』という書名も魅力的だ。しかし、やはりエッセイ集なので、この書名をテーマにして一貫した内容が記されているわけではない。とはいえ、「記憶」がテーマとして意識されていることは感じられる。そんな記述が本書のところどころに見られるからだ。
たとえば、『「記憶」の書店』というエッセイがある。この最後の方にはこんな記述がある。「今の私は、昔の私とは物質的にはすっかり別人になっている。けれどもかろうじて記憶だけが今と昔をつないでいる。自己同一性のよすがはこの儚い記憶だけなのだ」
著者は「動的平衡」という生命観を唱えている。生命は絶え間のない流れである、と。そんな流れのなかで「今と昔をつないでいる」記憶。記憶とは、生命という流れのなかで、自己同一性を保つために打たれた楔のようなものといえるだろうか。
『「懐かしさ」と「切なさ」』というエッセイにも、共感できる言葉があった。「つまり切なさというのは有限性の気づきである」という言葉だ。このエッセイは、山崎まさよしのコンサートに出かけていく話から展開されていく。
ジャン・ラマルクとエピジェネティクスの話もおもしろい。本書の話題は生物学にとどまらず、小泉今日子、村上春樹、フェルメール、マリス博士とヒラリーなど多彩だ。各章は、「記憶」「旅」「進化」「IT」「読書」「芸術」という括りでまとめられている。
ひとこと
このレビューは、単行本を読んで書いたもの。文庫版もある。