動的平衡ーー生命はなぜそこに宿るのか
書籍情報
- 著 者:
- 福岡伸一
- 出版社:
- 木楽舎
- 出版年:
- 2009年2月
- 著 者:
- 福岡伸一
- 出版社:
- 小学館
- 出版年:
- 2017年6月
「言葉の揺籃場所」となった2誌で執筆した記事に加筆・再編集をほどこしたもの。通奏低音となっているのは「動的平衡」という生命観(追記:2017年に新書化され、「動的平衡の数理モデル」を提示している)
あとがきによると、本書は『ソトコト』誌上の「エレメント・フラグメント・モーメント—等身大の科学へ—」という連載記事(加筆・再編集したもの)に、ダイナースカード会員誌『シグネチャー』での執筆記事(加筆・整理したもの)をプラスしてつくられた。
このようにして作られているためか、本書にはさまざまな話題が登場する。消化、ダイエットとインシュリンの関係、遺伝子組み換え食品、ES細胞とノックアウトマウス、細菌・ウイルス・プリオンタンパク質、ミトコンドリアなど。これらのテーマの通奏低音となっているのは「動的平衡」という生命観だ。著者にとって、この両誌は「言葉の揺籃場所」となったそうだ。
「時間どろぼうの正体」
本書の話題のなかに、大人になると子どもの頃より時間が早く過ぎるように感じるのはなぜか、を考察した「時間どろぼうの正体」がある。ここでは「体内時計」「新陳代謝速度」をキーワードに、生物学に基づく考察がなされている。
胃や腸などの消化管の中は生物学的には「体外」
普通私たちは胃も腸も体内だと感じているが、生物学的に見れば「体外」だそうだ。こんなふうに説明されている。「人間の消化管は、口、食道、胃、小腸、大腸、肛門と連なって、身体の中を通っているが、空間的には外部と繋がっている。それはチクワの穴のようなもの、つまり身体の中心を突き抜ける中空の管である」と。内部といえるのは「チクワの身の部分」。では、食べたものが内部に入ったといえるのはいつからか。「それは、消化管内で消化され、低分子化された栄養素が消化管壁を透過して体内の血液中に入ったとき」だそうだ。
「コラーゲン添加食品の空虚」
肌の張りにとってコラーゲンが大切なのは多くの人の知るところ。著者も「肌の張りはコラーゲンが支えているといってもよい」と述べている。しかし肌の張りを保つ、あるいは取り戻すために、食べ物としてコラーゲンをたくさん摂取しても意味はないという。それは、摂取したコラーゲンは「ばらばらのアミノ酸に消化され吸収される」から。しかも「コラーゲンはあまり効率よく消化されないタンパク質」だという。そして「コラーゲン由来のアミノ酸は、必ずしも体内のコラーゲンの原料とはならない。むしろほとんどコラーゲンにはならないと言ってよい」と述べている。コラーゲン不足だからコラーゲンを補給するというような考えは間違いといえる。本書ではこうした「健康幻想」も指摘されている。
カルティジアン(デカルト主義者)へのアンチ・テーゼ
ルネ・デカルトは「生命現象はすべて機械論的に説明可能だと考え」、それを信奉するカルティジアンたちは「この考え方をさらに先鋭化していった」そうだ。そして、「バイオテクノロジー全盛期の真っ只中にある」現在の私たちは、この延長線上にあるという。
しかし、生命というシステムは、このデカルト的な機械論をはるかに超えたものだと著者は主張する。生命とは何か。本書の回答は、「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」というもの。著者はこう述べている。「生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。(中略)分子は環境からやってきて、一時、淀みとしての私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく」と。
また、「カルティジアンへのアンチ・テーゼとして「新自然学」の再構築を期していたライアル・ワトソン」の著書をとりあげ、動物の意識にも言及する。
追記
2017年に新書化された(小学館新書)。新書では「第9章 動的平衡を可視化する――「ベルクソンの弧」モデルの提起」が追加されている。この章では「動的平衡の数理モデル」を提示している。
他章はほぼ同じだが、いくつか加筆された箇所がある。その加筆箇所については、著者の言葉を紹介したい。
「単行本刊行以来、急速に進展した生命科学研究最前線の状況(特に、再生医療の切り札として登場したES細胞やiPS細胞についての批判的考察)と私自身の研究展開(GP2研究のその後についての新しい知見とその展開)などに関して大幅な加筆を行った」
ひとこと
福岡伸一の文章はやはり読みやすい。本書も印象深い情緒豊かなラスト(単行本)になっている。
「動的平衡の数理モデル」に興味がある方は新書を。